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東京高等裁判所 昭和43年(ネ)1734号 判決 1970年1月29日

控訴人 船木和子

被控訴人 日新シヤーリング株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上法律上の主張および証拠の提出、援用、認否は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおり(原裁判所の更正決定による別紙記載土地・建物の表示の更正を含む)であるからこれを引用する。

(一)  控訴代理人において、次のとおり述べた。

1、訴外船木茂(以下単に船木という)が被控訴会社代表取締役として、訴外横山商事株式会社(以下単に横山商事という)との取引を同会社が東日興業株式会社(以下単に東日興業という)名義を使用するようになつてからも継続したのは、(イ)横山商事の代表取締役であつた訴外横山哲(以下単に横山という)の手腕、力量を信用したこと(ロ)横山は過去に相当の営業をした実績があること(ハ)横山商事に対する売掛金を回収するためには、同会社の営業を継続させる必要があつたこと(ニ)景気が回復し、上昇する見通があつたこと等の理由によるのである。

中小企業間の取引は、結局経営者個人の信用に依拠しており、一度経営者を信用すれば必ずしも支払状態の良否にとらわれずに取引を継続することがしばしばあり、商売である以上お互いにうまくいつているときもよくないときもあるから、歩がいいときだけ取引して思わしくないときは知らん顔をするというものではない。船木は横山の手腕、力量と商売に対する熱意を買つており、実際にも横山は過去において相当程度の営業をしていた実績があつたので、船木は横山を信用していたのである。

また当時横山商事は訴外室蘭産興との間に仕入代金をめぐつて紛争があり、仕入をほとんど被控訴会社に頼つていたので、被控訴会社が出荷をやめれば、他に仕入先をみつけないかぎり営業が停止してしまい、被控訴会社としても横山商事から売掛金を回収できなくなるおそれがあつた。そこで船木は、横山商事(東日興業)と取引を継続するとともに、売却先を追究し、経費の削減を命じ、債務の棚上をする等して横山商事(東日興業)の営業状態に目を光らせ、かつその改善に意を注いだ。

そして必要経費を充たしたうえ債務を返済できる程度に利益をあげさせるためには、相当の商品を出荷してやらなければ意味がなく、船木としては売掛金の回収が可能となるよう取引量を増やしていつたのであるが、その商品が必ずしも横山の注文どおりの品物でなかつたため、横山商事の営業に悪影響を及ぼした。

さらにもともと鉄鋼製品は投機性があり、好況になれば短期間に需要が増え、売上が伸びて利潤が上がるから、そうなれば横山商事(東日興業)からの売掛金の回収も容易にできるはずであつた。そして昭和三九年から同四〇年にかけて不良であつた景気も回復して上昇に向う見通があり、事実昭和四〇年秋頃を境として回復に向い、昭和四一年には急上昇して好景気を迎えたのである。しかし、被控訴会社と横山商事(東日興業)との取引は、訴外白木武男の指示によつて昭和四一年二月をもつて打切となつたため、金一五五六万円の売掛金が回収不能のままとなり、なお取引を継続してこれを回収することができたかどうかは現在では分らないのである。

2、仮に船木に取締役の善管注意義務違反に基く損害賠償責任があるとしても、

(1)  船木としては、回収不能な掛売をしたことに対し、事業的責任はともかくとして損害賠償責任があるとまでは考えたことがなく、したがつて自己所有の土地家屋を控訴人に贈与することが債権者としての被控訴人を害することになるという認識はなく、詐害の意思がなかつたのである。

(2)  また控訴人は、夫である船木が被控訴会社に対し被控訴人主張のような損害賠償債務を負つているということについては、船木からもその他の人からも聞いたことがなく、全く知らなかつたのである。船木は、後妻で年もかなりへだたつた控訴人に一々会社のことなど話さなかつたし、同人自身賠償責任があるとは考えていなかつたのであるから、控訴人が知らなかつたとしても当然である。

なお船木が本件土地家屋を控訴人に贈与したのは、自分に万一のことがあつたとき、控訴人と先妻の子(当時二六才)との間に相続争いが起ることを憂慮し、また小さい子供を抱えた控訴人の将来を配慮してしたことにすぎない。

(二)  立証<省略>

理由

一、成立に争いのない甲第一号証および同第九号証、原審証人辻義雄および同船木茂の各証言ならびに原審における被控訴会社代表者白木武男本人尋問の結果によれば、被控訴会社は昭和二五年三月一六日設立された鋼板の剪断加工、製鉄原料・鋼半製品・鋼材鉄鋼二次三次製品機械器具等の販売等を目的とする株式会社であり、その資本金は設立当初金八〇万円で昭和二九年に金三二〇万円に増資されたのであるが、これらは実際には訴外白木武男(以下単に白木という)が出資したものであること、しかし白木は被控訴会社と同種の営業を目的とする長良鉄鋼産業株式会社の代表取締役をしており、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律により競争関係にある会社の役員を兼ねることが禁じられていたので、公正取引委員会における同法の運用状況を考慮し、自らは平取締役にとどまつて代表取締役とならず、戦前鉄鋼統制会に勤務していたときの部下で当時就職先を探していた訴外船木茂(以下単に船木という)を代表取締役に就任させたことおよび船木は被控訴会社設立以来代表取締役の地位にあり、主としてその営業(販売)部門を担当してきたが、昭和四一年五月一九日代表取締役を退任するとともに取締役を辞任し(右取締役辞任の事実は当事者間に争いがない)、同年六月一四日その旨の登記がなされたことを認めることができる。

二、次に成立に争いのない甲第二および第三号証の各一、二、同第四および第五号証の各一ないし三、同第六号証、同第八号証の一、二、同第一二号証、同第二三号証の一、二、原審および当審証人辻義雄、同船木茂、当審証人横山哲の各証言を総合すると、

(一)  船木は、被控訴会社の代表取締役として被控訴会社のため、訴外横山哲(以下単に横山という)が代表取締役であつた訴外横山商事株式会社(以下単に横山商事という)との間で次のとおり取引した。

1、横山商事に対し昭和三六年三月二〇日から同年九月一三日までの間前後四回にわたつて鉄板を売渡し、同年三月二〇日売渡分の代金三四万一四六〇円および同年四月二五日売渡分の代金一〇万〇八〇〇円はそれぞれ売渡後一か月余後に支払を受け、同年九月六日売渡分の代金三万六一八〇円および同月一三日売渡分の代金一九万八〇七四円合計金二三万四二五四円については、同月三〇日横山商事に対する買掛金債務と対等額で相殺した。

2、その後昭和三八年四月一三日から再び横山有事との取引を始め、翌昭和三九年二月二六日までに総額金五九九万二五九八円の鉄板を売渡し、その間右代金の内金二八〇万二九九四円の支払を受けたが、内金一一八万五九七四円については同月二九日横山商事に対する買掛金債務と対等額で相殺し、残代金二〇〇万三六三〇円については同月二五日額面金九〇万三六三〇円、満期同年五月一日のもの一通、額面金一一〇万円、満期同年五月三一日のもの一通、合計二通のいずれも横山商事振出の約束手形の交付を受けた。

右約束手形二通はいずれも満期に支払われず、額面金九〇万三六三〇円の手形金については一部を被控訴会社の横山商事に対する買掛金債務と相殺したが、その残額金五九万五七一二円と他の手形金一一〇万円については横山商事からの依頼を受けて数回無償で手形の書替を承諾し、最後に昭和四一年四月一一日二通の約束手形を併せて額面金一六九万五七一二円、満期同年九月一一日の約束手形一通に書き替えて振出させた。そして右の最後の約束手形一通は、被控訴会社において満期に支払場所に呈示したが預金不足のため支払を拒絶された。

3、さらに昭和三九年四月一五日から同年八月一七日までの間に横山商事に総額金五六二万一二〇八円の鉄板を売渡したが、右代金のうち右期間中に支払を受けたのは金二八四万一六一一円であつて、残額金二七七万九五九七円は、同年九月一八日から翌昭和四〇年四月三〇日までの間に、次に述べる東日興業株式会社名義を用いた横山商事との取引を始めてから支払われた代金をこれに充てて決済した。

(二)  船木は、昭和三九年八月中旬頃、横山から、「横山商事が他の取引先から差押を受け、被控訴会社が横山商事に売渡す品や横山商事がこれを他に転売する代金が差押えられるおそれがあり、そうなると被控訴会社への支払もできなくなるから、今後は未だ設立していない会社であるが東日興業株式会社(以下単に東日興業という)の名義で取引したい。」との申入を受けてこれを承諾し、被控訴会社の代表取締役として被控訴会社のため、東日興業名義を用いた横山商事との間で次のとおり取引を続けた。

1、昭和三九年八月二二日から翌昭和四〇年二月二六日までの間に総額金五九八万七二七六円の鉄板を売渡し、その間合計金四七一万〇八六四円の支払を受けた(昭和四〇年二月二七日支払のため交付された横山商事振出額面金一五万五四一五円の約束手形はその後不渡となつているので、右支払金額に計上しない)が、そのうち金二七五万八九四四円は前記(一)の3、記載の残代金二七七万九五九七円の内金に充当し、その余の金一九五万一九二〇円を右期間の取引代金五九八万七二七六円の内金に充当した結果、右期間の取引の未払残代金は金四〇三万五三五六円となつた。

2、さらに昭和四〇年三月一六日から翌昭和四一年二月二八日までの間に総額金二四三五万九七三〇円の鉄板を売渡し、その間に合計金一二八五万〇八八七円の支払を受けたが、そのうち昭和四〇年四月三〇日支払を受けた金二万〇六五三円は右1、の金二七五万八九四四円に引続き前記(一)の3、記載の残代金に充当してこれを完済とし、その余の金一二八三万〇二三四円を東日興業名義による取引代金の内金に充当した結果、なお金一五五六万四八五二円が未回収の売掛金として残り、以上で東日興業名義を用いた横山商事との取引を打ち切つた。

以上の事実が認められる。控訴人は、東日興業名義の右売掛残代金一五五六万四八五二円は、実際には帳簿外の返品、値引、クレーム等があるからもつと少い額になる筈であると主張するけれども、これを肯認するに足る証拠は存しない。

三、原審および当審証人辻義雄の証言ならびに原審における被控訴会社代表者本人尋問の結果によれば、横山商事も横山個人も東日興業名義による右買掛残代金一五五六万四八五二円を支払うに足る資産、資力がなく、右金員は回収不能となつて被控訴会社の損害に帰したことを認めることができる。

四、ところで被控訴人は、被控訴会社が右のような損害を蒙つたのは、船木が被控訴会社の代表取締役として、横山商事の代金支払状況が不良であるのを知りながら、横山の依頼に応じ、仮装会社である東日興業あてに鋼材を売渡し、被控訴会社に対する忠実義務、善良な管理者の注意義務に違反した結果であると主張し、控訴人はこれを争うので、次にこの点について審究する。

(一)  さきに認定した取引経過からすれば、昭和三八年四月一三日被控訴会社と横山商事との取引が再開されて以後の横山商事および東日興業名義を用いた横山商事の代金支払状況は、終始不良であつたといわざるをえない。すなわち、1、昭和三八年四月一三日から翌昭和三九年二月二六日までの取引について横山商事が支払のため振出した約束手形は、後に一部相殺されたほかは数回の書替がなされて結局不渡となり、未だに決済されておらず、2、昭和三九年四月一五日から同年八月一七日までの取引の残代金二七七万九五九七円は、その後の東日興業名義による取引の支払金をもつてこれに充当し、翌昭和四〇年四月三〇日にようやく完済とし、3、東日興業名義を用いてから直後の昭和三九年八月二二日から翌昭和四〇日二月二六日までの取引については、売掛金額に対する支払金額の割合が以前に比して良くなつたものの、支払金の一部を右のように横山商事名義の未払代金に充当した結果、かえつて未払残額が金四〇三万五三五六円に増え、4、さらに最後の昭和四〇年三月一六日から翌昭和四一年二月二八日までの取引においては、取引金額が飛躍的に増加したのに、これに対する支払金額の割合は甚だしく低下しており、東日興業名義による売掛金の未払額が金一五五六万四八五二円に達してようやく取引が打切られたのである。

(二)  ところで当審証人横山哲の証言によれば、右のように横山商事の支払残が生じたのは、1、昭和三八年四月から昭和三九年二月までは、被控訴会社が得意先の注文に応じられるように商品を廻してくれず、そのため同業者から買入れて得意先に納めていたが、次第に得意先の信用が薄れ、他からの買入のための費用の支出や資金ぐりの悪化等が重なつて思つたほどの利潤を得られず、2、昭和三九年四月から同年八月までは資金ぐりが零の状態であり、3、東日興業名義を用いるようになつてから昭和四〇年二月までは得意先の注文に対して順調に商品が流れず、経費がかかりすぎ、景気も昭和三七年四月頃の最低のときよりややよくなつてはいたが横ばいの状況であり、4、昭和四〇年三月から昭和四一年二月までは、利潤が少く、得意先の信用を失つて在庫が残り、売上金二〇〇万円位がこげついて回収できず、高利の借入金の返済に金一八〇万円を支払い、その他経費に金四〇〇万円もかかつたからであるというのである。

(三)  この間にあつて、船木が東日興業名義による横山商事との取引にどのように対処したかをみるに、原審および当審証人船木茂の証言ならびに当審証人横山哲の証言の一部によれば、船木は、1、前記のとおり昭和三九年八月中旬頃横山から東日興業名義による取引の申入を受けたのであるが、被控訴会社としては横山商事から前記未決済の約束手形金を含め、それまでの売掛残代金を回収する必要があり、他方横山商事は、被控訴会社以外の仕入先と金二〇〇〇万円の仕入代金債務を争つて差押を受けたり、あるいは金七〇〇万円の仕入代金の支払猶予を受けていた等の関係にあつて、これらから仕入をすることができず、被控訴会社からの仕入まで中止されると営業を続けることが不可能な状況にあつたので、被控訴会社が横山商事から前記売掛残代金を回収するためには、なお東日興業名義により取引を継続してその営業を持続させるほかないと判断し、横山商事に対し、その営業利益、得意先、営業経費等を調査して従業員の数を減らす等経費を節減するよう指示し、貸借対照表を出させて支払計画をたてさせ、貨物自動車二台(証人横山哲は金二〇〇万円相当の在庫品六〇トンおよび貨物自動車三台というが証人船木茂の証言に照らしにわかに採用しがたい)を担保に提供させる等して横山からの前記申入に応じ、2、その後一か月に一回位横山商事(東日興業)に出向いて様子をみ、在庫があれば注文を受けても売渡すことをさし控え、3、昭和四〇年三月以後においては、東日興業名義による取引開始後代金支払状況が比較的良かつたこと、今後景気が上昇していくという見とおしをもつていたこと、横山商事がかつて年間二億数千万円の取引(証人横山哲の証言によれば昭和三五、六年頃の年商は四億五千万円位)をして二〇〇〇万円ないし三〇〇〇万円の利益をあげた実績を買つていたこと等から、取引量を増やして横山商事(東日興業)が利益を大きくし被控訴会社に対する支払を多くすることができるようはかつたのであるが、横山商事(東日興業)の得意先の注文に合わぬ品を売渡した等のこともあつて、かえつて昭和四一年二月には売掛残代金が前記のとおり金一五〇〇万円を超えるに至り、ついに取引を中止したものであることを認めることができる。

(四)  以上(一)ないし(三)を総合して考えると、昭和三九年八月横山から東日興業名義による取引の申入があつた当時においては、横山商事は、被控訴会社以外の仕入先からもまた販売先からも次第に信用を失つており、資金ぐりが零という非常に悪い経理状態にあり、被控訴会社に対する代金支払状況も取引再開後それまで一年四月の間取引を重ねれば重ねるほど未払残額が増えるという状態が続いていたのであつて、終始横山商事との取引の衝に当り、かつ横山商事の営業および経理の状態を調査して横山商事の右の状況を知つていた船木としては、被控訴会社の代表取締役でかつ営業担当取締役であつた者として、被控訴会社のため善良な管理者の注意をもつて判断すれば、横山商事との取引をなお継続しても売掛代金の未払額をさらに多くするのみの結果に終るであろうことを予見しえたはずであるのに、船木は、右のような横山商事の経理状態および支払状況を重視せず、横山商事が過去の好況期にあげた実績にとらわれて景気が好転すればその営業成績を挽回するであろうと期待し、東日興業名義を用いた横山商事と取引を継続したのみならず、その取引量を増やしたため、横山商事に対する売掛金の未収額を累増させて被控訴会社の損害を大きくする結果を招いたのであるから、善良な管理者の注意を怠つたものというべきである。そして船木が横山商事(東日興業)に対し前認定のように経費節減を指示し、支払計画をたてさせ、担保を提供させ、在庫があれば売渡をさし控える等の措置をとつたとしても、横山商事の経理状態を知つていた船木とすれば当然のことであり、しかもそれが実効のある措置であつたとはいえないのであるから、これによつて右の判断を左右することはできない。

(五)  控訴人は、企業活動に冒険性、危険性、投機性が伴うことから論ぜられるいわゆる経営の合理性に関する判断の法則を引用して、船木の過失責任を問うべきでないと主張するけれども、船木の過失は、僅かな注意を払うことによつて、横山商事(東日興業)との取引を継続してもいたずらに売掛金の未払額を増すだけの結果に終るであろうことを予見しえたはずであるのに、その注意を払わなかつた点にあるのであつて、このような過失は船木が被控訴会社のため忠実かつ真摯に職務を遂行していれば容易に避けられたものであり、企業に冒険性、危険性、投機性が不可避であるからといつて船木の過失責任を問うべきでないとすることはできない。

(六)  また控訴人は、取引行為における取締役の善良な管理者の注意義務は、会社の企業経営全体の立場からある程度の時間的過程の中で全取引行為の総体または営利活動全体を観察して判断すべきであつて、横山商事との取引およびその結果のみを抽出して船木の注意義務を論ずるのは誤りであるというけれども、取締役は、会社との関係において、その全職務を善良な管理者の注意をもつて執行すべき義務があり、個々の取引行為をするに当つてもその注意義務を負つていることは当然であり、ただ一見会社にとつて不利益な個々の取引行為であつても、会社の企業全体の立場からみれば結局その目的達成のためになされたものである場合には、右の注意義務違反の問題を生じないだけで、ある取引行為において右の注意義務に違反した結果会社に損害を与えた場合に、他の営業活動によつて会社に利益を与えたからといつて、その注意義務違反の責任を免れうるわけではないのである。

(七)  なお控訴人は、昭和四一年二月限りで横山商事(東日興業)との取引を打切つたのは白木の指示によるものであり、景気は昭和四〇年秋頃を境として回復に向い昭和四一年に急上昇したのであるから、右の取引の打切をしなければ横山商事から売掛残代金を回収することが不可能であつたとはいえないと主張し、成立に争いのない乙第一号証の一ないし一三、同第二号証の一ないし四および同第三号証の一ないし七によればその主張のような景気の変動があつたことを認めうるのであるが、原審および当審証人船木茂の証言によれば、船木は、昭和四一年二月の被控訴会社の決算期までの横山商事(東日興業)との取引状況からみて、そのまま取引を継続することは不可と考え、自らの判断で横山商事(東日興業)との取引を打切つたが、なお期間をおいて、取引打切のままとするか、横山商事に営業を続けさせて売掛残代金の回収をはかるかを検討するつもりでいたところ、右決算期の決算書ができてから、白木が東日興業名義による取引の売掛残代金が多いことを問題とし、これに対する処置について意見を求めたので、同人に対し、取引方法を改める具体案を示して横山商事との取引を続けるべきであるとの意見を述べたのであるが、白木は他の者の意見を聴いたうえ横山商事には代金支払能力がないとして船木の意見を容れず、結局取引打切のままとなつたことおよび船木の意見によつても、横山商事(東日興業)の売掛残代金を回収するには五、六年を要するとしていることが認められ、これに前認定のような横山商事の営業および経理の状態ならびに被控訴会社に対する代金支払状況を併せ考えれば、船木自身昭和四一年二月には横山商事(東日興業)との取引打切を決定せざるをえなかつたのであり、その後景気が好転したからといつて横山商事(東日興業)がにわかに営業成績を向上させて被控訴会社に売掛残代金を完済するだけの能力があつたとは考えられず(なお前記乙第一号証の一三によれば、昭和四一年には急速に景気が回復したのにかかわらず中小企業倒産の問題があつた)、白木が船木の取引継続の意見を採らなかつたのはむしろ相当であつたというべきであり、控訴人の主張は肯認しがたい。

(八)  したがつて船木は、被控訴会社の取締役として善良な管理者の注意を怠り、被控訴会社に対し前記のように金一五五六万四八五二円の損害を蒙らせたのであるから、その損害を賠償する義務があるといわなければならない。ただし被控訴人は、昭和四一年八月一〇日京橋郵便局受付の内容証明郵便をもつて、船木に対し、同人が被控訴会社に対し有していた立替金債権金一五〇万円と右損害賠償債権とを対等額で相殺する旨の意思表示をし、これによつて同金額だけ減額されたことを自認しているので、右相殺以後船木が被控訴会社に賠償すべき金額は、金一四〇六万四八五二円となつた。

五、控訴人が昭和四一年五月一四日船木から本件土地および建物の贈与を受け、同月一六日右贈与を原因とする各所有権移転登記手続を了したことは、当事者間に争いがない。

六、原審証人辻義雄および当審証人船木茂の各証言ならびに原審における被控訴会社代表者本人尋問の結果を総合すると、当時船木は本件土地および建物と預金四〇〇万円位を有していたが他に財産はなく、本件土地および建物の価額は合計金四〇〇万円ないし金五〇〇万円位であることが認められるから、右贈与は債権者たる被控訴会社を害するものであるといわなければならない。そして右被控訴会社代表者本人尋問の結果によれば、昭和四一年四月二六、七日頃、白木が船木に対し、東日興業名義を用いた横山商事と取引をして多額の売掛残代金を生じたことについて厳しくその責任を追求し、早急に右残代金を取立てるよう命じたところ、船木はその後あまり被控訴会社に出社しなくなつたことが認められ、船木がその後間もない同年五月一九日被控訴会社の代表取締役を退任して取締役を辞任したこと、その直前の同月一六日前記贈与による各所有権移転登記手続をしたことはいずれも前認定のとおりであり、また右贈与を受けた控訴人が船本の妻であることは控訴人の自認するところであつて、これらの各事実によれば、船木は被控訴会社の権利を害することを知つて右贈与をしたものと推認するのが相当であり、これと牴触する当審証人船木茂の証言はにわかに採用しがたく、他にこれをくつがえすに足る証拠はない。

七、控訴人は、船木が被控訴会社に対して損害賠償債務を負担していたことを知らず、詐害の事実につき善意であつた旨主張し、証人船木茂および控訴本人はいずれも当審において右主張に添う供述をしているのであるが、右各供述ならびに成立に争いのない甲第一三号証および乙第四号証によれば、船木と控訴人は昭和三六年七月二六日婚姻をし同居している夫婦であることが認められ、また控訴本人は、「船木からかねてお前の名義で家を建ててやるといわれており、本件建物の贈与を受けたのである。」と供述しているけれども、成立に争いのない甲第一一号証によれば、本件建物については昭和四〇年一二月二三日船木名義で所有権保存の登記手続がなされているのであつて、その時に控訴人名義による保存登記をしないで僅か五か月後の昭和四一年五月一六日に控訴人に対する贈与による所有権移転の登記手続をしており、しかもその所有権移転登記の日が前記のとおり船木が被控訴会社の取締役を辞任した日の直前であることは、不自然であるというほかなく、これらの点を勘案すると証人船木茂および控訴本人の前記各供述はにわかに信用しがたく、他に控訴人の主張を肯認するに足る証拠はない。

八、そうすると、原判決が被控訴人主張の詐害行為の成立を認めて被控訴人の本訴請求を認容したのは相当であり、本件控訴は失当として棄却するほかない。

よつて控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川善吉 小林信次 川口冨男)

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